4 ヨナの時代   4 ヨナの時代 


   旧約聖書のヨナ書には、「預言者ヨナは、神からニネベの都につかわされ、 ニネベで滅びを預言した。ニネベにいた王は、人々に悔い改めるよう布告を出した。 神は、ニネベの人々が悪を離れたのを見て、災いを下すのをやめられた」 という内容が記述されている。
 ニネベはアッシリア(現在のイラク)の都である。 アッシリアは強圧的な統治を行う国として知られており、 またイスラエルとの戦いに勝った国である。戦いに勝った国の王が、 なぜ戦いに敗れた国の神の預言者の言うことを聞き、悔い改めたのか、 という疑問が出てくる。
 この疑問を解き明かすため、考古学の証拠と聖書の記述を突き合わせていくと、 旧約聖書に記載されている奇跡が真実であったことが分かる。

4-1 ヨナの時代の特定

(1) 考古学で判明したこと
@ アッシリアの首都(王都)の変遷
a) アッシュール
アッシリアに古くからある都であり、 紀元前1300年頃から紀元前880年頃まで首都として用いられた。
b) カルフ(現在の名前はニムルド)
紀元前880年頃から紀元前700年頃まで首都として用いられた。
c) ニネベ
紀元前700年頃からアッシリアが滅びる紀元前612年まで首都として用いられた。 センナケリブ王(B.C.705〜B.C.681)の時、このニネベに遷都し、最盛期を迎えた。
A ニネベの遺跡
紀元前700年の頃から用いられたニネベの都は、それ以前の都の上に建てられた。 新しいニネベの都には王城跡が2つあり、その1つは「ナビー・ユーノス」 つまり預言者ヨナという意味を持つ。 これはそれ以前のアッシリアの首都では発見されていない。
(2) 旧約聖書の記述(ヨナ書)
旧約聖書はニネベの都について、次のように記している。
・都に王がいた(住んでいた)。
・非常に大きい都で、人口12万人以上いた。
(3) 結論
旧約聖書の記述より、ニネベの都が首都(王都)であったことが分かる。 また考古学の証拠より、ヨナが訪れた首都ニネベは、 センナケリブ王の時であったことが分かる。

4-2 センナケリブ王の時代

それではセンナケリブ王の時代、どのような出来事があったのかを見てみよう。
(1) 考古学の証拠
@ ユダヤの王ヒゼキヤは、アッシリアに服従しなかった。
A そのためセンナケリブ王は26の城壁のある町々と無数の小さな村落を征服した。
B ヒゼキヤ王から金銀その他の貢ぎ物があり、それを受け取った。
C それにも関わらずセンナケリブ王はエルサレムを包囲し、完全降伏を迫った。
これらは、アッシリアで発掘された六角柱の粘土板に記録されている。 この六角柱の粘土板は発見者の名前にちなんでティラープリズム (テイラープリズム)と言われ、大英博物館が所有している。
 なお、その他の証拠により、センナケリブ王がユダヤを攻めたのは、 紀元前701年であるとされている。
(右の図は ティラープリズム のイメージ)

上のリンクをクリックしても大英博物館のティラープリズムのページに行かない場合は、 次の操作により、ティラープリズムのページを見ることが出来ます。
・インターネットエクスプローラーのアドレス欄に http://www.britishmuseum.org/ を記入します。
・画面上部の「Explore」をクリックします。
・中央にある Search の枠内に「The Taylor Prism」を記入し、 右隣の三角をクリックします。
・Results が表示されるので、「The Taylor Prism」という文字、 あるいは写真をクリックします。

(2) 旧約聖書の記述(列王記下18〜19、イザヤ書32)
旧約聖書に、次の事柄が記述されている。
@ 南ユダ王国ではヒゼキヤが王であり、アッシリアから独立を目差していた。
A アッシリアのセンナケリブ王が南ユダ王国を攻撃し、砦の町をことごとく占領した。
B ヒゼキヤ王はアッシリアに金銀その他の贈り物をした。
C アッシリアは贈り物を受け取ったが、なお南ユダ王国を攻め、エルサレムが包囲された。

ここまではティラープリズムの記述とほぼ完全に一致している。

D センナケリブ王は人を使わし、エルサレムの人々に聞こえるように「どんな国の、 どの神がアッシリアからその国を救いだしたか(そんなことは今までなかった)。 しかしユダヤの神はアッシリアからエルサレムを救い出すと言うのか」と言い、 神を汚した。
E ヒゼキヤ王は預言者イザヤに人を使わし、神に救いを求めた。
F 神は預言者イザヤを通して、「アッシリアを恐れてはならない。 神自らがこの都(エルサレム)を守り抜いて救う」と言われた。
G その夜、神の使いがアッシリアの18万5千人の兵隊を殺した。

後半の出来事はティラープリズムには記録されていないが、 センナケリブ王は負けた戦は記録したくなかったものと思われる。

4-3 王が悔い改めた理由

アッシリア王がヨナの預言により悔い改めた経緯は、次のようになると思われる。 なお、(考)、(旧)、(推)は、各々考古学の証拠、旧約聖書の記述、推定、を表すものとする。
@ アッシリアは各地で残酷な仕打ちをしてきた。(考)
A センナケリブが王となり、ニネベに首都を移した。(考)
B 南ユダ王国に攻め入った。(考、旧)
C 南ユダ王国から金銀その他の貢ぎ物があり、受け取ったが、 そのまま南ユダ王国を攻撃し、エルサレムを包囲した。(考、旧)
D しかし神の使いにより18万5千人の兵隊を殺され、ニネベに逃げ帰った。(旧)
E センナケリブは国中の学者を集め、ユダヤで礼拝されている神はどのような神かを調べ、 ついに、その神は天地を創られた方であること、また海を開き、 エジプトで奴隷として苦しんでいた民を導きだしたこと、を知ったものと思われる。(推)
F その後、ヨナがニネベの都に現れ、「あと40日すれば、ニネベの町は滅びる」 と預言した。(旧)
G このことが王に伝わると、 (エルサレムの戦いで18万5千人の兵隊が殺されたことを思いだし、恐怖におののき: 括弧内は推定)、悔い改め、王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、人々に 「各々悪の道を離れよ。そうすれば神が思い直され、我々は滅びを免れるかもしれない」 と布告を出した。(旧)
H 神は、ニネベの人々が悪を離れたのを見て、災いを下すのをやめられた。(旧)
I 王は、人々が預言者ヨナの言葉を常に思い出すよう、 ナビー・ユーノスという意味を持つ王城を建設した。(考)

4-4 神の奇跡

ニネベの遺跡にナビー・ユーノスという意味をもつ王城跡があることから、 アッシリア王センナケリブがどれほど神を恐れたかが分かる。 そしてそれは、ヒゼキヤが王の時、南ユダを攻め、 エルサレムでアッシリアの18万5千人の兵隊が殺された (神の使いがアッシリアの兵隊を殺した)という聖書の記述が真実であることを意味する。
(もしセンナケリブがエルサレムを攻撃する前にナビー・ユーノスを建設していれば、 ユダの国の神を恐れていたことになり、神殿があるエルサレムを攻撃しなかったであろう。)
 また、それは神が預言者イザヤを通して、「アッシリアを恐れてはならない。神自らがこの都 (エルサレム)を守り抜いて救う」と言われたことが成就したことを意味している。

(注) なお、ニネベの町の滅びを預言した人の名はアミタイの子ヨナであるが、 列王記下にはヤロベアム王の時代に同じ名前の父(アミタイ)を持つ預言者ヨナが出てくる。
ニネベの町の滅びを預言した時は、センナケリブ王がヒゼキヤ王を攻めた後であるから、 B.C.701以降である。他方、ヤロベアム王が死んだのはB.C.750頃であり、 ヨナが預言したのはヤロベアムの死ぬ前であるから、 この間50年以上経過している。従ってニネベの町の滅びを預言した人と、 ヤロベアム王の時代に預言した人は、別人である可能性も考えられる。

ユダヤでは、姓はなく名で人を呼んでいた。同じ名の人が多いので、 聖書では父の名と合わせて、×××の子×××として区別していることが多い。
 仮に同じ名前が100人に1人いたとする。 するとAという名の父とBという名の子が出てくる可能性は、0.01×0.01=1/10,000となり、 1万人に1人は父と子の名前の組が一致することになる。
 当時のユダヤの人口は少なくとも数十万人以上いたと想定されるので、 アミタイの子ヨナという名の人が数十人はいたと想定される。
 第1イザヤ、第2イザヤ、第3イザヤ、というように、同じ名前の預言者がいた。 従って、ニネベの町の滅びを預言した人と、ヤロベアム王の時代に預言した人の、 各々の父の名前と各々の子の名前が一致する場合もありうる、と思われる。